2013年6月11日火曜日

今の資本主義の中で“息苦しさ”を乗り越える方法

社畜だとか「クソ上司」だとか、自分が所属していたりする組織を嘆く人が多いですね。

会社員よりフリーランスが偉いとか、ノマドバンザイとか全然思わないですね。
自分は10年ほど会社員として勤めたあと、独立してフリーランスで仕事をしていますが、だからといって自分が優れているとか、そういう風に思うことはないです。

会社員とフリーランスとの違いは、あくまでも「差」でしかなく、優劣はないと思います。

もちろん、これは独立したから感じる部分は大きいです。

会社・組織に属していたからできた仕事もあれば、属していたからこそ取り組めなかった仕事もあります。逆にフリーランスだから挑戦できる仕事、どう考えても無理な仕事もあります。

自分が会社をやめた理由はいくつかあります。

その中でも大きなものは、会社という組織がなくなったら困るような人生は嫌だ、と思ったから。

会社という組織は、労働の対価として毎月安定した給与をもらうことができ、それが生活を送るうえで、実はとても大きな安心感を生んでいたのだと、いまつくづく思います。


価値観の変化

価値観の変化という程ではないですが、少しずつ変化を認識しています。

それは、物事の順序に対する認識の変化かもしれません。

一言で言えばあまりにも極端に進んだ資本主義経済への疑問です。
文明の進歩、経済の進歩が日本という国の幸福度を最大化するという前提で、合理化・効率化を進めてきた結果、いろんなモノゴトが自分たちから切り離されました。まさにサービスの外部化・アウトソーシング化です。

サービスの外部化は今現在自分たちに何を求めているか。それは、外部に任せるための対価の支払いです。
エネルギー、外食、教育・保育、生活支援、介護、遊び…etc

これらに“支払い”が求められるから、お金がより多く必要になり、お金に追われるようになる。

そこに息苦しさ、行き詰まり感を感じるんだな、と。

そうは言ってもお金は必要なわけですから、外部化してきたサービスを、もう一度自分の中に内部化していけないか。
そうすることで、どうしても必要な“支払い”を少しずつ抑え、その分働かなければならない度合いを下げていけないか。
それが自分の認識の変化です。

完全に内部化できなくても、試みてみるだけでも意味があるかなと思います。
その意味とは、それにかかるコストを肌感覚で理解できることにあることで、対価の適正/不適正を判断する基準を得ることができるから。もっと砕けた形での理解でもいいんです。
「あ、これやるのってこんなに大変なんだ」でも「え?こんなに簡単にできるのになんでこんな高いの?」でもいいんです。


パートナーとの仕事

上司だったり、対等な仲間だったり、組織外の人とのコラボだったりいろんな形があり得ますが、仕事は基本的に1人では進められません。

そんな時、パートナーが求めていることをどこまで自分が理解・先読みして対応できるか、が自分としては重要だと考えています。
それは自分の社会人一年目の上司から教わったこと。
上司本人は「上司」ではなく「先輩」として教えてくれてたと思いますけど。

最近気になるのは、パートナー/上司が大枠だけを示して、具体的な話を丸投げされるのが嫌だというグチ。
気持ちはわかるけどなー、でも違うなーと感じます。

このテーマはまた別に書きたいと思います。


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